マリス・ヤンソンス&バイエルン放送交響楽団 with ヨーヨー・マ

指揮:マリス・ヤンソンス
チェロ:ヨーヨー・マ
バイエルン放送交響楽団

曲目:
ドヴォルザーク:チェロ協奏曲
ブラームス:交響曲第2番

ひゃっほー、今年もバイエルン放送響の演奏会にいってきました。
これでソリストがヨーヨー・マさまとあっては、なけなしの金を払ってGOだぜ。
席は2F正面中央という類稀なる良い席でした。
ミューザはひさしぶりでしたが、相変わらず豪華なホールですね。
次はここで弾くかもしれないので、聴衆としてどう聴こえるかをインプットする良い機会でもありました。

相変わらず完成度の高いオーケストラでしたが、正直今回はチェロの音ばっかり聴いてました。
ヨーヨー・マの演奏はその表現の幅の広さに驚かされましたね。あの胸を張ってリラックスして斜めに座った感じの独特な座り方がいかにもヨーヨーさま。咽び泣くようなカンタービレもヨーヨー・マ独特ですね。

ヨーヨー・マのドヴォコンは、激しい部分の音色とか、これでもかと泣きの歌い回しとか、結構苦手なところはあるんですが、どのチェリストがあれほど大きな表現で弾けるでしょうか。協奏曲の3楽章のラストにかけては心底美しかった。クラシックの多くの曲の中でも、この曲のラスト数分ほど感動的な音楽はなかなかないと思っています。
 
ヨーヨー・マは最後の最後、ファーシーシーの最後のシの伸ばしでオケと逆に消えていくデクレシェンドして消えていく弾き方をしており、この解釈は非常に共感が持てるところがありました。亡くなってしまった愛していた大切な義姉への思いを馳せ、しかしその失った悲しみを優しく振り切り、天国の彼女を祝福する、そんな感じの力強く美しい場面にマッチしています。

ヴァイオリンソロとの掛け合いからラストまでは、この愛していた義姉との思い出を振り返るような、喜び・悲しみ・慈しみ・寂しさ・優しさ・諦め・祝福など、色々な感情を表現したようなメロディがこの上もなく美しい素晴らしい音楽ですので、まだ聴いたことがない方は是非聴いてみてください。ドヴォルザークに惚れます、この協奏曲1曲作っただけで神といっても良い。
ちなみにこの曲で最も好きな録音は、もちろんジャン・ギアン・ケラスの録音。

↓ドヴォルザーク チェロ協奏曲 第3楽章途中から by ヨーヨー・マ
(youtubeには全楽章、ヨーヨーの演奏があるようです。オケはバイエルンと比較するとかなり下手ですが。感動のラストの裏に別の声みたいなのが入っているのも残念な映像)




ちなみに1楽章などでヨーヨー・マの音量については、バイエルンの奏者が裏方にしては偉大すぎたためか、少しオーケストラに隠れてしまう感じで物足りない感はありました。しかし、1楽章の第2主題?、2楽章や3楽章の最後付近のようなソロが際立つ静かな場面でのチェロの音の美しいこと。アンコールでやった無伴奏1番の演奏なんか最高に良かった。ヨーヨー・マはオーケストラとやるより、静かだけどあまり感傷的にならない音楽を室内楽程度の人数に混じって弾くほうが向いているんではと思います。

しかし、今回一番感動したのは、オケを待っているときも音楽の世界に入りこんで待ち、演奏中も常にオーケストラを気にかけながら演奏し、協奏曲後にアンコール3曲を行い(しかも、2曲はオケの団員とアンサンブル)、メインのブラームス2番はチェロの最後列でオーケストラと一緒に弾き、ラストのアンコールはVnパートとなってハンガリー協奏曲第5番を弾くという、名実ともに世界最高峰のソリストなのに、常に周りを立て「オーケストラの一員」として演奏会の客に対し多大なサービスをしてくれる姿勢です。この辺はもう技術というより、人柄に惚れますね。ヨーヨー・マは(賛否両論あるでしょうが)伝統的なクラシックの音楽だけにこだわらず、色々な分野にチャレンジ姿勢も好ましいチェリストです。

ちなみに、世界最高峰のチェリストがオーケストラで弾く姿というのは初めて見ました(ラッキー!!)が、オーケストラの中に一旦入ると自己主張はほとんどせず、小さく弾くべきところは小さく弾いており、身体の動きも表情もソリストのものではなくオーケストラのもので、できるだけ目立たないようにしていました。ブラームス2番はチェロが美味しくて目立つ曲であり弾き方も大変勉強になりましたが、やはり演奏する姿勢が印象的です。このブラームスもいずれ弾くかもしれないので、食い入るようにチェロばかりみていて、すいませんが他のパートの素晴らしい演奏はあまり聴いてません。チェロパート素晴らしかった!!(トップも上手かった、ヨーヨー・マとデュオをやってもまったく遜色なし。ていうかあのレベルになると上手さの違いはわからんです。)

しかし、アンコールでやったグリーグの「ソルヴェーグの歌」(ペールギュント第2組曲より)は曲としてあまりに素晴らしいですね。
「過ぎにし春」とか、グリーグはもっと評価されてよいと思います。

グリーグ - ソルヴェーグの歌


グリーグ 2つの悲しい旋律より 過ぎにし春 
(美しすぎる!!弦楽合奏ならではの超名曲。
悲しいというよりも、優しいとか暖かい感じがします、希望を感じさせる和音。
過ぎた(もう最後かもしれない)けど、また再び戻ってくることが心の中ではわかっている感じ?)


ついでに、グリーグ 抒情小曲集の中の超名曲 春に寄す
 (死ぬ前に、せめて一度は弾いてみたい曲!!せめて前半だけでも)

事業仕分け:スパコン開発予算削減の件


 最近は全くニュースからも疎遠で世情についていっておりませんが、国の予算配分を決定する事業仕分け作業において、次世代スパコン開発予算が削られるというニュースがありました。私は大学院時代にスパコンに近い(ハイパフォーマンスコンピューティング)分野の研究をやっておりましたし、私が所属していた研究室も本事業には関わっていた(いる?)ため、他人事ではありません。

 で、この次世代スパコン開発の予算削減については、実は以下の3点を考慮にいれると、良い判断と思いました。予算削減であり、世界一は目指せないのかもしれませんが、本当に必要な研究は実行されるでしょう。

●2,3年前の計画時ですら、実質、1位を奪取できるかについても非常に怪しかった上、どんどん米国のスパコンが記録を更新してきて、更に怪しくなっていた。
●ベンダ3社が共同開発で、ベクタ・スカラ型併用のスパコンを目指して開発をスタートしたが、去年〜今年にかけての不景気で、NEC、日立のスパコン開発撤退によりこの構想が頓挫し、急遽世界の主流スカラ型に変更した(富士通一社ではベクタ型はおそらく技術的に不可能なので、この構成しかできなかった)。この計画変更で更に目標達成が怪しい上、おそらくNEC、日立が担当していた研究案件・技術者の数も減る。
●Googleのシステムなどに見られるように、安価なPCやサーバのクラスタリングなどにより、十分大規模な計算能力を有し、高度な信頼性を要求されるシステムの構築が可能であることが証明されている。スパコンを作っても、その高い計算能力が必要な分野は限られており、宝の持ち腐れとなる可能性がある。

 とはいえ、私が心配しているのは、「科学技術」で発展してきたような日本が、未来の種・成長に必要な分野への投資(教育への投資含む)をケチって、何の成長にも繋がらない(むしろ足を引っ張る)平等主義・地方保護・弱者保護などに傾いたあげく、低成長のジリ貧になることです。単純に直近の費用対効果・収支だけで考えて、長期のリターンの考慮をおざなりにしてしまうと、ネズミ講詐欺年金システムと同様、その場しのぎ or 自分の世代さえ良ければとなり、結局次の世代にツケを押し付けていくことになるだけです。

 次世代スパコン計画にしろ、目標達成が可能かどうかはおいておいて、多くの未知の課題にチャレンジすることで、新しい知見を得られるとか、別分野への応用が期待できる発見が発生するなどのことは当然考えられるわけですから、そこまで考えて必要・不必要の判断をすべきと思えますし、削減した予算は「それ以上のリターンが見込める案件に投資する」必要があります。(もちろん必ず使う必要はなく、使わずにプールするというのが最もリターンが高いのであれば、それはそれでOK)
 このスパコン予算削減で浮いたお金が、最先端の知識と優れた知能を要する技術者よりも国家の将来の成長に対して寄与するとは考えにくい「公務員の給料・雇用」の維持のために消えるなんてなら、全くお話になりません。(子供手当てなら、長期的に子供が増えるのを前提とすれば、まぁまだ代替案としてはマシでしょうが)


 税収も落ち込み日本の財政事情も危機的状況に陥っているようで、長期金利もじりじりあがってきて日本国債デフォルトすんじゃね?という投資家の不安が少しずつでてきている段階ですので、予算削減は緊急を要すると思いますが、未来への種まきは怠らないようにしていただきたいところです。そのためには、今後の国家の成長戦略(今後も科学技術で食っていくのか、金融なのか、農業に回帰するのか、エコ?詐欺で食っていくのか、など)をある程度明確にする必要があると思いますが、その点の整理・国民への周知がまだ出来ていない気がします。(情報に疎い私が知らないだけかもしれませんが。。。)

 票欲しさに有権者の顔色ばかり伺う政策ばかりやっていると、将来のビジョンや大きな国益ではなく、個人の「目先の幸福・安心」だけを追求する政策に陥る危険性があります。まぁ、実際そうなるかどうかは、国民の知性に左右されるでしょうね。その点においても、国民の(特に倫理・政治・経済・歴史というおざなりにされがちな分野)の教育が一番重要視すべきことだという気がしています。
 ⇒公教育の無償化がそれに寄与するのであれば賛成です。私立が潰れまくって競争原理が働かなくなり無能・やる気なし教師の量産化や、国側の思想・論理を押し付ける学校の増加になるのではという危惧があるのですが。

塔ノ岳_鍋割山

丹沢の、大倉→金冷シ→塔ノ岳→鍋割山→二又→大倉のルートで登ってきました。
前回に比べると、最も高い塔ノ岳でも1491Mで大変緩やかで、天気にも恵まれ気楽に登れました。
紅葉目当てでしたが、色付きはまだまだ?というところでした。

丹沢a

鍋割山では、名物らしい鍋焼きうどん(980円)を食しました。
味が値段相応かというとそうは思いませんが、具も多いですし寒いときにはオススメです。

しかし、最近は楽器一色で全く運動していなかったため、ちょっと早く登ろうとしただけで息切れしたりと老化を感じました。丹沢あたりでは、次はお手軽そうな大山あたりを登ってみたいな。


↓当然、富士も見える。
丹沢b

↓快晴とはいえ山の天気は変わりやすく雲がかかりはじめた
丹沢c

↓塔の岳の頂上付近
丹沢d





怠惰こそ人間の本性であるから、私はこれから怠惰に過ごす


ブログを全然更新しない原因の一つであった、オケの演奏会が終わりました。
全くこんなに疲れた半年はなかった。プライベートの時間で今回ほど上達のために努力をしたこともなかったかもしれない。まったく難しい曲でした。

まぁ、本番は高いところの音程は結構外したところもあり、個人の成果としては努力のわりには、もうちょっとどうにかならんかったかという感じの出来でしたが、今回ほど自分で色々と考えて、自信を持って弾けたことはなかったので良かったことにしよう。

オケ全体としても、アンサンブルの精度はともかく、難曲にしてはまずまずの出来だったと思われます。情熱的な曲に助けられた面も大きかったでしょう。ただ、終わった後に拍手が全然発生しなかったのは、感動のあまりというよりは、やはり曲を知らなかったからでしょうな。。。


今回は楽しかったというより、やっと終わったとか、やり遂げた感のほうが強いです。
個人的にはかなり憔悴中で、しばし休養が欲しい。

音楽は必要なのだろうか

加藤和彦氏が自殺で亡くなった。私自身は「あの素晴らしい愛をもう一度」ぐらいしか知らないので、思い出話など彼について語ることはない。ただ、その遺書に、、「今の世の中には本当に音楽が必要なのだろうか。」ということが書かれていたのが印象に残った。

では、今の世の中には音楽が必要なのだろうか。そもそも、今の世の中とか以前に、我々人間が生物として生きる上では、「音楽は必要ない」。当然、音楽の優先度は衣食住よりも低いし、我々人間の生物としての目的である、伴侶を見つけたり子孫を残したりには直接関係ない。基本的には、色々なものに不自由せず、余暇・安全など余裕があるからこそ、成り立つものなのだと思う。そういう意味では、飽食の時代とされる現代ほど、音楽が趣味・ファッション・消費財・文化として成り立つ時代は今までになかったのではないか。そういう意味では必要とされている。

だが、「今の世の中に」という部分は、「昔は必要だった が 今は必要でなくなったと」いうニュアンスがある。おそらく遺書に書かれていた「世の中に音楽が必要なのか」は作曲者・演奏家である自分ではなく、もっぱら聴衆に向けたものと思われる。音楽は聴くものがあって成り立つからだ。ということで聴衆から必要とされなくなったという意味合いだと仮定して話をすすめる。


まず、我々人間は動物であるから、行動することが基本である。音楽は聴くことより、歌ったり弾いたりする方が(難易度ではなく)動物的行動としては自然であり、易しく楽しい。詳しくないが音楽的に、フォークなどは、クラシックのように静かに座って聴くものなのではないだろうか。これはロックコンサートなどのように単純なリズムに乗って体を動かしたり、大きな音圧で体を強制的に振動させたり脳を興奮状態にしたり、ライトや爆発などの効果で惑わせたり・驚かせたり、一緒にシャウトしたり歌ったり、そういう身体的に聴衆に体感させるジャンルよりも、満足させるのは生物の特性上はるかに困難である。クラシックも器楽の演奏という面では視覚的に楽しめる部分は多い。フォークはそういう点ではテクニックで魅せる要素も少ないわけで、より聴衆を楽しませるのは困難であるように思う。(音楽がわかりやすい・聴きやすいという点では上だが)

そもそも、静かな音楽を、動かずに集中して聴いて(分析して)楽しむというのは、動物ではなく、脳や言語が発達した人間だからこそできる高度な行為なのだと思う。それは自然な行為ではなく、むしろ最も動物の特性に反したものに分類されるのだ。もちろん、音楽を聴きながら何かをやる人は多いと思うが、それは聴いているというのではなく、脳をある興奮状態においた上で「何かをやっている」のだ。音楽を聴くのではなく、行動のほうに意識がある。あるいは音楽に集中していても、何かしら行動をやっているから動物としてストレスは感じにくい。

ゲーテの「ヴィルヘルム・マイスターの修行時代」にこういう台詞がある。
「天気がよければ散歩にいく。音楽が始まればダンスする。散歩しながら天気のことを考えたり、ダンスしながら音楽のことを考えたり誰がするものですか。踊っている人に楽しいのは、ヴァイオリンじゃないわよ。青い目に楽しいのは黒い目を覗きこむことなのよ。」
この台詞は動物的本能を良く表している言葉で正しいと思う。
流石、人間観察のプロ、ゲーテ様。


おそらく加藤氏がターゲットにしていた聴衆というのは、じっと集中して聴く忍耐力のある、音楽的素養(好奇心)があり、かつ自分の曲に共感をもってくれ・愛してくれる人間だと思うのだが、そういう人は残念ながらそう多くはない。また、「今の世の中」は音楽が「いつでもどこでも」聴ける上、あまりに多くの曲が溢れ、新曲が山のように出る時代にあっては、その希少価値はさらに薄れてしまう。また、より動物的本能をくすぐるエンターテインメント・レジャーは昔より多くなっている。そういう意味では1曲に対する需要は少なくなっているというのは確かだろう。

また、あらゆることが既にやりつくされていて、聴衆を満足させるのはどんどん難しくなっていることも、作曲者としての創作意欲を失わせたのかもしれない。また、昔のヒット曲ばかり持て囃され、新曲などが評価されないなどもあったかもしれない。良い曲であっても好かれはしても、なかなか愛されない。愛されるには思い出がプラスされることが重要だ。もっともよき思いでは基本、青春時代だ。つらい思いでもきっと青春時代だ。よって青春時代の聴衆は、新曲よりも青春時代の思い出を思い起こさせる曲を好む。よって、需要はどうしてもある特定の曲に絞られてしまう。

需要があるから必要である、需要がないから必要でないというのは単純でわかりやすいが、それだけではないと思う。需要がなくても必要なことはあるのだ。我々がただの動物でない「人間」であるために、知性や文化を維持するために、進化するために、平和に共存し、理解しあい、繁栄するためには。

高度な行為であればカネになる・評価されるなんてことはない、むしろ理解できる人・楽しめる人というのは、生物的なものから離れる行為であるほど、少なくなるからだ。だからこそ大事にすべきであり、必要なのだ。音楽は、特にじっと全身全霊をこめて音に耳を傾ける行為は「我々が知性のある人間である」というのを最もよく認識できる活動なのだとポジティブに捉えるべきだ。よって、今の世の中に音楽は必要だ。そして一番大事なのは創る・演奏する以上に、「聴く」行為なのだ。

それは自分が主役ではない、がしかし主体的な行動であり、とはいえ何も生み出さない、そして誰からも評価もされない、非生産的な飾らない行為だ。だからこそ、たいへん純粋な行為ともいえる。この純粋さが世の中に必要だ。何も害のない行為だ。エントロピーの増加は単位時間でみると、じっと「聴く」ずっと「聴く」この行為は極端に小さい。エネルギー消費量・世の中への影響は小さい。まさにエコ、今の世の中に必要とされている行為だ。


・・・と、素人アマチュアの私は思ったりするもんですが、加藤氏のように本気で何十年も音楽をやってきた・音楽を愛してきた人がいうのだから、やはり「音楽は必要ではないんじゃなかろーか」という疑問は真実なのかもしれないとも思うのでした。まぁ、続けていくには、どこか思いつめない気楽さとか、別の趣味なり、生きる目的が必要なんだろうね。音楽だけではよほど精神的に強い人でも、潰れてしまう気がする。


フォーククルセダース  あの素晴らしい愛をもう一度



・・・今回は長すぎたし、まとまりないな。というより、なんか頭のネジがとんでる感じだな。反省。
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プロフィール

れる

Author:れる
スローライフの実現を目指し、マネーゲームの修行中。
スローこそが、極意だと最近気づき始めました。
今の世の中はスローの価値を見くびりすぎているぜっ!

趣味はクラシックで、チェロとピアノを少し齧る。
好きな作曲家:
ラヴェル、ショスタコーヴィチ、プロコフィエフ、チャイコフスキー、バルトーク、ショパン、バッハ、モーツァルト、プーランク、ウォルトン

好きなヴァイオリスト:
フランク・ペーター・ツィンマーマン、ヒラリー・ハーン、ダヴィド・オイストラフ

好きなチェリスト:
ジャン・ギアン・ケラス、スティーブン・イッサーリス、ダニイル・シャフラン、ミクローシュ・ペレーニ、ヨーヨー・マ

好きなピアニスト:
マルタ・アルゲリッチ、サンソン・フランソワ、マリア・ジョアオ・ピリス、上原ひろみ

好きなベーシスト:
ジャコ・パストリアス

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