ウェスチングハウス破産申請


連日破産ネタ。東芝傘下のウェスチングハウスの米連邦破産法11条の適用を申請する方針とのこと。
東芝は不正会計が発覚した後は、事業や資産を売り払い、大量に社員のクビを切って、もはやボロボロだが、最後の砦としていた6000億円をかけて買収し社運をかけた原発事業でもこれ以上損失を大きくしないため、子会社WHの損切りという方法を取ることとなった。WHといえば米国の超名門企業だ。もちろん東芝買収時点で斜陽企業だったのだが、破産に至るとはだれが想像しただろう。

東芝は誰もが知っている、日本の最高峰の頭脳(注:学校の勉強ができるという意味で)が集まっているような会社だし、技術力も資産も十分にも持った会社だが、このザマである。日本企業の経営陣や上層部がいかに無能なのかがよくわかる。労働市場が売り手市場になり、ブラック企業なる言葉が近年認知されているが、長年まじめで優秀な給料の安い若手日本人社員の努力によって、なんとか維持できてきたような会社も多いだろう。(日本人は世界的に見ても、もともと残業が多いといわれているが、文化的に、サービス残業など、統計上でてきていない残業時間なども多いのではないか)

自分も日本の大企業に所属しているのでよくわかるのだが、とにかく大企業は長年の歴史で作り上げられてきたものに囚われてしまって変化に上手く対応できないし、市場の急激な変化が例えわかっていても、そもそも変化に対応しようという思考が働かなかったり、対応しようとしても慎重になりすぎて後手にまわってしまう。昔ながらの手法や上司・先輩のやり方に完全に従う人間、あるいは飲み会等の面で上司受けがいい、頭を使わず、まじめに言われたことを確実にこなすだけのような、そういう類の人間が、会社に大きな損害さえ与えなければ年功序列でポストや高給を与えられる。そうやって出世した人間が過去の成功体験に囚われるのは仕方ないことだし、それ以外の方法に自分の力で変えるのは困難だ。このような構造問題が、シャープしかり、往年の大企業をむしばんでいるのではないか。

東芝の不正会計はもちろん犯罪だが、経営的にも原発に社運をかけた経営判断が致命的だった。福島の原発事故が発生しようとも、損失の拡大が見えていても、受注が目標に全然達成してなくても、方針を変えることができなかった。トップ層はその方針が正しかった(あるいは長期的にはペイする)と思っていた(あるいは失敗を認めたくなくて思い込んだ)だろうし、業績上も不正会計で表面上問題ないように見えていれば、yesマンが昇進しやすい日本企業では、なんかおかしいと感じることはあっても、意見したり、上層部の方針を変えるようなことはできなかったのは致し方ない。もし会計上の問題に気づいていた人がいても、内部告発に踏み切れるよう人間はいないだろうし、いたとしてももみ消される(た)だろう。東芝問題は、昔ながらの日本企業が保持しやすい構造上の問題である。今回の事態はなるべくしてなったものであり、今後見込みある事業を切り離していく東芝という会社は、倒産せずに続いていっても、往年の栄光を取り戻すことはもはや難しいだろう。

しかし、上記のような日本企業の経営陣の無能問題を指摘したところで、昔からの問題かつ後の祭り。経営陣はみんな自分が正しいと思って、決断しながら経営しているのであまり意味がある話ではない。単に東芝なむ~というだけの話であるが。私のような搾取されるリーマンの立場としていえることは、大企業だから安泰とか、そういう思考はもはや通じないということを肝に命じる必要があるということだ。むしろ、往年の大企業に所属するほど、その企業でしか使えない人間になるリスクが大きくなる。だから、もはや社畜とか、滅私奉公、愛社精神みたいなものも、ほとんど価値がなくなっていく。働き方改革や、副業解禁など、多様な働き方が認められつつある今は、特定の企業に依存しなくても生きていけるスキル、人脈、金融資産などを地道に構築していくことが、益々重要になっていくだろう。
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てるみくらぶの破産申請


格安旅行会社の「てるみくらぶ」が破産申請とのこと。
直前まで現金一括入金キャンペーンの広告をうったりしていたらしく、GWの旅行客の金をぶんどってからの計画的なものではないかという気もしてくる。客への全額返金も現状厳しいようだ。この場合の経営陣の責任はどうなるのだろう。売上高としては申し分ない会社だから、工夫次第では破産申請は防げたのではないか。自分は申し込んでないので被害は受けてないが、格安というものの怖さを思い知るニュース。というか、旅行会社が破産した場合、金が返ってこない可能性あるとは知らなんだ・・・。さすがにJTBやHISのような大手はちゃんと保障されると思うが。

ふるさと納税、返礼上限3割まで


返礼品競争緩和のために、4/1付けで返礼上限を寄付金の3割までを目安とするよう勧告するようだ。強制力はないようだが、基本的に自治体なので方針に従う方向になるだろう。返礼品の調達コストは寄付金に対して4割超えというから、昨年までのような盛り上がりは今後少し失われるかもしれない。それでも万人にとって利用すべき、お得な制度には変わらないだろう。すぐにどうこうということはないだろうが、もしかしたら3月中に寄付できるものは寄付しておいたほうがお得かもしれない。

確かに返礼品目当てとなると、本来の地域創生・応援の目的から離れるかもしれないが、実際に都の税収は減り、地方の税収が増えているということは、目的の一部は達成できていることは間違いない。実際に地震の際に被災地への納税額は馬鹿にできないだろう。どこかの謎の団体経由で募金するよりも直接寄付でき、用途も指定できるほうが安心感もある。

ふるさと納税の制度の問題は、返礼品競争よりは高所得者ほどたくさん恩恵が受けれるので、「税金を使って格差が広がる方向に向かう」ということではないだろうか。だから、どちらかというと所得によらず寄付できるが、寄付金には一定の上限を設けるとかのほうが平等だし、利に叶っているように思える。せっかく給与所得者が、条件次第では確定申告なしで税控除を受けれるようになり、制度利用のハードルが低くなったのだから、このまま制度としては続けてほしいところだ。

個人の金融資産が過去最高を更新


個人の金融資産が過去最高1800兆円超えということで、貧富の差など諸問題はあるとは思うが、金融資産の面でも、また社会インフラの面でも、日本はまだまだどんどん豊かになっているんだなと感じる。これは喜ばしいことだ。しかし、実際に富を増大させている人がどれだけいるのか。国民の多くは給与所得者だと思うが、給与の伸び率は最近は景気回復や労働力不足ということもあり改善傾向があるとはいえ、まだまだ緩やか。生活必需品や食品の物価上昇には追い付いていないというところだろう。その上にほぼゼロといえる預金金利。これでは「がむしゃらに社畜して、お金は銀行に預ける」という、昔ながらの日本人思考では、今後も金銭面で苦労し続ける可能性は高い。

だから今の時代は、いかにもともと資産(土地や不動産も含む)を持っているか、あるいは投資で資産を増やせるかが重要になってきている。これは残念ながら、昔ながらの勤労者としての努力や献身が報われにくくなってきていることを意味する。また、節税知識あるいは税優遇の知識をどれだけ持っているかも重要だ。どうしても一般的に年収が金持ちの物差しになりそうなものだが、実は長期的な資産構築の上ではあまり大きなウェイトを占めない。もちろん年収は高いほうが良いし、資産構築の上で有利に決まっているが、年収が高くてもそれだけ税金でとられたり、税の優遇措置は受けられなかったり、自分は相対的に金持ちだと勘違いして気が大きくなり、散財をしてしまう。年収思考の人間だと、急激に年収が落ち込んだ時に対応できにくい。人間が生活水準を落とすことは容易ではないからだ。

だから、これから就職するような若者や子供たちは、就職では苦労しないだろうが、税負担が大きくなる可能性は高いのだから、経済、投資や税の知識をもっとつけるべきではないかと思う。とはいえ、拝金主義にもなっては欲しくないのが難しいところだ。所詮は信用を担保にした紙切れや金属にすぎず、有効に使わなければ意味がないという認識も必要だと思う。学校教育でも実学の割合は増やしていったほうがいいと思う。そういう流れにはなってきているとは思うけれど。

電通の過労自殺事件と、日本の労働生産性の低さについて


昨年は電通の新人の自殺→社長の辞任で日本企業の長時間労働について世間を騒がせたようだが、何を今さらという感じで、おそらく(特に古くかある、あるいはベンチャーの)日本企業の多くは、似たような状況のところがあると思う。実際に過労死は今にはじまったことではない。今回はインターネットが発達して情報が公開・波及しやすくなってきた点と、こういっては不謹慎かもだが若くてとても美人の新人(しかも有名大卒の才女)が「誰もが羨むような超優良大企業」で自殺したという点が特に大きな問題になりやすかったということだろう。

自殺に至ったのは本当に不幸で、その他の方法もなかったのかとも思うが、企業の内部にいればわかるが内部告発などは通じないのである。内部告発制度は社内外にコンプライアンスを守ろうとしているアピールのためか、問題をもみ消すためか、告発した人間を特定しその後社内でまっとうな生き方をさせない(あるいは退職に追い込む)ためにある。当然、仕事を振り、労働時間なども把握している上司や先輩などに相談するわけにもいかない。同僚も似たような長時間労働であれば、「みんなそうだよ」となってしまう。

ただ、日本企業の現場で働いている実感では、もちろん責任や仕事が集中して長時間労働せざるをえない人間も「一部にはいる」のは確かだが、日本企業は外資系企業に比べて基本給が安いのと、また皆が働いているならほかのものも働いてないとサボってると思われたり、あるいは上司からの心証・評価がよくなかったりする点から無駄に長時間労働している(働いているフリをしている)人間が多い。長時間労働している人間の大半は「能力がない」、あるいは雑談したり、タバコ休憩したり、居眠りしたり、色々「だらだらやっている」、無意味に「時間を潰すために残ってる」などで、残業代を稼ぎつつ、上司・同僚の心象もよくして評価をあげ昇進して、後々過重労働の分は会社から「取り返す」のが目的なのである。長時間労働せざるをえない人間も、しょせん人間だから常にフルでパフォーマンスを出し続けられるわけがなく、どこかでサボったり、だらだらしたり、思考停止して、うまく体調をコントロールする必要があるので、どんなに優秀でも単位時間あたりの生産性は低くなっていくのだ。場合によっては、病気で休んだり、休職・退職するので、案外「定時退社しつづけているような人間のほうが結果パフォーマンスが良い」ということになる。

しかし、本当に生産的に仕事をして、定時などにさっさと帰ろうとするような人間は、組織の和(協調性)、あるいは長年培ってきた伝統や、既存の労働観に疑問を提示させる者、あるいは単純に「もっと仕事ができるのにサボる者」として、鼻つまみものになるのだ。これは私が現実に強く体験してきているのでよくわかる。日本人の労働観はおそらく封建制度とか、戦国時代とかの古い時代から根本的なところは変わってないのではと思う。滅私奉公というやつだ。それはDNA的なものなので仕方がないのかもしれない。だから私は日本人が悪いといっているのではなく、日本企業がそういう長時間労働に陥りやすい「仕組み」になっていることが問題なのだと感じている。

ただし、近年はインターネットの普及や国内市場の縮小に伴い、企業もグローバル化してきており、日本人には通じる暗黙的なものが外国人労働者には通じなくなっている。日本企業もグローバル化すればするほど、待遇制度として年功序列の維持は難しく、外国式のドライな成果主義を取り入れざるをえなくなる。実際に自社もそうなってきており、年齢があがれば単純に給料があがる仕組みにはなってない。ただ、処遇制度として成果主義だけとりいれつつ、仕事のやり方や組織の考え方、雇用流動性は旧来どおり(例えば退職金も自主退職かつ早期であればあるほど不利だし、同一労働同一賃金の原則にもなってない)だから、そこに矛盾や弊害が起きてくる。

日本人は概ねまじめで努力家だし、個々で与えられた目の前の作業を完遂させるパフォーマンス自体は高いと感じる。ただし、既存の仕組みや、まわりの空気など流されて、自分の意志や意見がなく、思考停止してしまうような人間が多いし、革新的なことはやろうとしない。目の前の仕事の効果や意義を理解せず、命令されたら、ただこなす。何か不満・疑問に思っても胸の内にしまう。ほかの仕事との関係性についてまで考えない。黒沢明監督の「生きる」という映画を先日見た。映画は皮肉が強烈なので映画の主人公である公務員ほど極端ではないが、つまり意味のない、あるいは効果の少ない仕事を延々とやって「仕事をした気になっている」のが落ちぶれつつある日本企業なのだ。

そもそも労働生産性が悪いのは何故いけないかということであるが、別に日本や日本企業がどういう方針でやっていてもそれは自己責任であり勝手にやってくださいと思うのだが、生産性が相対的に悪いということは、それだけ「時間や金を無駄に費やして、多くの人間(労働者や関係者)の人生を無駄遣いしている」からである。別に働いている本人は充実していて、長時間労働でガンガン稼げるならいいという意見はあるが、国内や企業内にはそうでない人間もいる。国家や企業という組織はなんだかんだで運命共同体的な要素を含んでいる。自然の流れとして個人が生産性の高い企業に移動していくのは資本主義では当然の摂理とはいえ、自然の流れに任せていては、その改善度合いは遅々としていて諸施策を打ち出す組織に比べて相対的に不利になる。

最近は個々人の価値観や人生その時々のライフスタイルに応じて、多様な働き方を認めたり、副業を認めたりする傾向が少しずつ認められつつある。長時間働いて、それで稼げるようになったら、経済的に安定すれば幸せなのかというとそうではないと思うし、そういう一般認識も特に若い世代では広がっているのではないだろうか。SNSの登場などにより、集団から、より個が優先される時代になってきたのは間違いない。国家も企業というものもあくまで個人の集合体である。全員が望んだとおりに生きることはできないが、全員が望んだ方向に「いけるかもしれない」と思わせるようになっていければ、おそらくそれが労働生産性をあげる一助になると思う。人間はそれほど能力差があるとは思ってない。希望があれば、やる気も出るだろうし、生産性も高まるだろう。少なくとも自殺しようとまでは思わないのではないか。
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ふじいよ

Author:ふじいよ
ソフトウェアエンジニア・ITコンサルタント・個人投資家・資産運用アドバイザー・チェリスト


音楽が主な趣味で、楽器はチェロとピアノを弾きます。ジャンルは主にクラシックで、チェロはオーケストラなどでよく弾いてます。他に登山(百名山巡り)・美術館・スパ温泉巡り・ヨガなどが近年のマイブーム。いろいろ手広くやってる自由人です。


専門はIT屋さんですが、長年やっている投資(資産運用)のほうも順調で、6、7年連続でトータルでマイナスになったことはありません。

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