ミュシャ展_2017


2017.03.11

国立新美術館で開催されているミュシャ展へ。
休日ということもあるでしょうが、ミュシャの人気もあってか、大変混んでいました。

今回の企画はミュシャの晩年の大作「スラヴ叙事詩」の20作品をすべて展示するという意欲的なもの。実際全部を一度に見れる企画は、チェコ外では世界初だとか。一部の絵画は写真撮影もOKでした。どうしてもミュシャは幾何学的文様や花で装飾された漫画のようなタッチの女性ポスターの印象が大きいですが、ミュシャが全精力と長年の歳月をかけたスラヴ叙事詩はさすがに並々ならぬ構図と複雑で繊細な色合いで練り上げられて、しかも幻想的な美しさも兼ね備えた作品が展示されてました。







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倉本聰「走る 2017」


2017.02.03

倉本聰 作 中村龍史 演出
「走る 2017」の演劇鑑賞へ。
場所は池袋のサンシャイン劇場。

演劇の概要としては、春から冬にかけて1年間ゴールに向かって走り続けるマラソンみたいな競技があり、いろいろな事情を持った人たちがそのレースに参加していて、それぞれ走りながら個々人の思いをさらけ出していくという形のもの。そのセリフなどは現代の様々な問題に焦点を当てているものが多いが、当然重たくて説教臭い話に安易に陥らないように、ユーモアを含んだものもある。

その「時のマラソン」は人間の人生を暗喩したようなものなので、ただずっと走ってるだけの苦しいレースに何故参加するのかとか、ゴールとは何なのかなど、トップでゴールする意味はあるのかなど、いろいろな疑問が沸いてきて、観客も自分の人生について再度見つめなおして欲しいというような意図を感じる。

自分もマラソンを一時期走っていた経験があるので、その頃のことを少し思い出しながら鑑賞していた。マラソンは確かに苦しいし、何か生産的なものを生み出して社会に貢献するというようなこともなく、ある意味孤独で自己との闘いでしかないようにも思える。それでも走り切った時の達成感、自己の記録を更新したときの喜び、移りゆく美しい風景や、一緒に走る人々、応援してくれる人々との一体感など、苦しさだけではなく、そこには感情的な喜びもある。

歩いたり、走ったりというのは人間の根本的な衝動を支えており、別にその行動に対して明確なゴールなんてものは実際のところは必要ないのではないかというのが自分が思うところだ。(ゴールや目標があったほうが楽しいとか、続けられるとか、成長できるとか、そういったことは否定しないが)

拝啓ルノワール先生


拝啓ルノワール先生-梅原龍三郎に息づく師の教え

三菱一号館美術館へ。ルノワール晩年の弟子、梅原龍三郎氏の作品や言葉がメインで、あとはルノワールの絵画や彫刻、同時代の有名画家(セザンヌ、ドガ、ピカソなど)などの絵が展示されていた。梅原氏の作品は、ルノワールの影響を受けてはいるんだろうけれども、ほとんど似たところは感じられず、ルノワールの繊細さや美的な側面を十分受け継ぐことはなかったようだ。師の作品と同じテーマの作品を見ると、独自の筆致を追い求めたんだろうなとは思わされる。アポもとらず、知り合いでもないのに、いきなり門戸を叩くというその度胸がすごいと思った。

キャラメルボックス「ゴールデンスランバー」


伊坂幸太郎原作のGolden Slumberの観劇(キャラメルボックス2016 クリスマスツアー)へ。

演劇も団体もちょうど1年ぶり。去年の演目に原作があったのかは定かではないが、今年はちゃんと原作を読んでから観に行った。ゴールデンスランバーは結構分厚くて内容盛りだくさんなお話だし、過去(回想)と現在がコロコロ変わる物語なので、原作をあらかじめ読んでなければ自分はついていけなかったかもしれない。大筋の内容は知っていたこともあり、演者の動きも含めて細かいところまで楽しめた。おおむね原作を踏襲しつつ、短い時間に収めるために細かい調整があり、また劇ならではの演出や工夫もなされていた。もともと面白い物語なので速い展開についていける人ならば、特に原作のファンとかではなくても楽しめるとは思う。しかし、一人で何役もこなす方々もいて、本当大変そうだなぁと思わされた・・・。

大変よくできました。

アール・デコの花弁 & ボルタンスキー展


目黒の東京都庭園美術館へ。

「アール・デコの花弁」というテーマで、旧朝香邸の室内を解説付きで紹介していた。その上でクリスティアン・ボルタンスキーのインスタレーションとコラボしており、古く伝統ある建築様式と、現代技術を用いた現代アートが混じった異色の空間がところどころに作られていた。

ボルタンスキーのインスタレーションは、作者の解説付き資料があったので、何も考慮して作品を作ったかがわかり、わかりにくい現代アートでも伝えたいことは少しは理解できた。心臓音をランプの光とともに流す作品、心臓音は規則的ではなく、バスドラムのような音がしていた。日頃は同じテンポで弾くこと等を要求されるわけだけど、常に自分とともにある原始的な音の不規則さを考えると、あらためてテンポとは、リズムとは何なのかと考えさせられる。

解説があると理解しやすいし、ただぼーっと眺めるだけで終わることはあまりないが、解説があると下世話な気もする。音楽だって解説があるとなるほどと思う反面、途端に音楽そのものが提示している本質から離れてしまう感じがするし。アートは難しく、私のような造詣ない人間にでも理解できるから素晴らしいというわけではないし、とはいえ、ある程度その偉大さやメッセージが誰にでも普遍的にわかるようなものではなければ、よほど有名か、経済的に恵まれた人間の作品でない限り、すぐに消えていく運命にある。アートは何かしら自己満足の要素というか、その作品を作る個人の個性の発露であるため、下手するとそれはゴミであり、他人や地球環境にとっては害をなすものにもなりうる。その点、建築物というのは、芸術性以上に、他人にとっての実用性が考慮されるため、バランスが取れている作品なのだと感じた。
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ふじいよ

Author:ふじいよ
ソフトウェアエンジニア・ITコンサルタント・個人投資家・資産運用アドバイザー・チェリスト


音楽が主な趣味で、楽器はチェロとピアノを弾きます。ジャンルは主にクラシックで、チェロはオーケストラなどでよく弾いてます。他に登山(百名山巡り)・美術館・スパ温泉巡り・ヨガなどが近年のマイブーム。いろいろ手広くやってる自由人です。


専門はIT屋さんですが、長年やっている投資(資産運用)のほうも順調で、6、7年連続でトータルでマイナスになったことはありません。

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